ルッツ作 イリディセントガラス パートドヴェール 電傘 ガラスシェード 1900年代 ls75-2
80,000円(税込88,000円)
1900 Loetz Iridescent Glass Pate de verre Shade
アールヌーボー期、チェコ国ボヘミアの地でもアールヌーボーに傾倒したガラス工芸品が造り出されていました。 その中でも特に成功を収めたのがルッツ工場です。 ルッツが特に得意とした虹光色を発する”イリディセント・ガラス”という技術は、ガラス粉にパール粉を混ぜ焼成されています。 ガラス精製の技術が高いボヘミアならではのガラスと言って良いでしょう。
カテゴリー: 電傘、シェード
制作期: 1890年頃(アールヌーボー期)
原産: ルッツ工場(チェコ・ボヘミア)
製法: イリディセントガラス、ブロンズ
サイズ: 高さ13.5cm、幅11.6cm、首口径 5.2cm
※ 本品シェードのみの販売となりますが、取り付けに必要な布巻きコードや真鍮ソケットも出品しておりますので併せてご覧下さいね。
Loetz
ルッツ(ルッツ工場)操業 1836〜1939年 ボヘミア クロスターミュレー
ルッツは、1836年にジョン・ルッツ(Johan Loetz)がボヘミアのクロスターミュレー(当時はオーストリア=ハンガリー帝国の直轄下)において、ボヘミアン・アールヌーヴォーのガラス製造を主として創業したアートグラス工場のこと。
特有の深い青・緑・ゴールドなど艶やかで金属的なラスター彩で表現されるイリディセントガラス(iridescent glass)技法で1898年に特許を取得し世界中にその名を知られることとなった。 1900年のパリ万博では、エミール・ガレ、ドーム兄弟、ルイスCティファニーと共に金賞を受賞している。 ルッツの成功に奨励されて、多数のボヘミアガラス工房はアールヌーボー様式ガラスの生産をするようになっていた。 1903年以降は、多くのウィーン芸術家が工場で働くようになった。 その中には、後にウィーン工房を設立したコロマン・モーザー(画家)、ヨーゼフ・ホフマン(建築家)も参加しデザインを担当している。 主なデザインは、マリア・キルシナー(1903〜14年)が務めた。世界恐慌による財政難の煽りを受けて1939年に工場を閉鎖した。 どちらもアールヌーヴォー期のラスター彩ということで、ルッツの製品とティファニーの製品は類似している。 知名度の差もあってか、ルッツがティファニーを模倣したと見なされがちだが、ヨーロッパで勃興したアールヌーボー芸術運動に早くから傾倒していたルッツと、アールヌーヴォーに憧れてアメリカから本場フランスへ留学してきたティファニーという歴史考証から見れば、ルッツがティファニーに影響を与えたという見解が妥当である。 ルッツ製品は、高価に取引されるヨーロッパでの人気と比べると、独特の鮮やかな光彩色が好まれないせいか、日本での人気は低いと言わざえる得なかった。 しかし、近年は志向が変わってきて愛好者も次第に増え人気が上がっている傾向にある。
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アールヌーボー期、チェコ国ボヘミアの地でもアールヌーボーに傾倒したガラス工芸品が造り出されていました。 その中でも特に成功を収めたのがルッツ工場です。 ルッツが特に得意とした虹光色を発する”イリディセント・ガラス”という技術は、ガラス粉にパール粉を混ぜ焼成されています。 ガラス精製の技術が高いボヘミアならではのガラスと言って良いでしょう。
カテゴリー: 電傘、シェード
制作期: 1890年頃(アールヌーボー期)
原産: ルッツ工場(チェコ・ボヘミア)
製法: イリディセントガラス、ブロンズ
サイズ: 高さ13.5cm、幅11.6cm、首口径 5.2cm
※ 本品シェードのみの販売となりますが、取り付けに必要な布巻きコードや真鍮ソケットも出品しておりますので併せてご覧下さいね。
ルッツ(ルッツ工場)操業 1836〜1939年 ボヘミア クロスターミュレー
ルッツは、1836年にジョン・ルッツ(Johan Loetz)がボヘミアのクロスターミュレー(当時はオーストリア=ハンガリー帝国の直轄下)において、ボヘミアン・アールヌーヴォーのガラス製造を主として創業したアートグラス工場のこと。
特有の深い青・緑・ゴールドなど艶やかで金属的なラスター彩で表現されるイリディセントガラス(iridescent glass)技法で1898年に特許を取得し世界中にその名を知られることとなった。 1900年のパリ万博では、エミール・ガレ、ドーム兄弟、ルイスCティファニーと共に金賞を受賞している。 ルッツの成功に奨励されて、多数のボヘミアガラス工房はアールヌーボー様式ガラスの生産をするようになっていた。 1903年以降は、多くのウィーン芸術家が工場で働くようになった。 その中には、後にウィーン工房を設立したコロマン・モーザー(画家)、ヨーゼフ・ホフマン(建築家)も参加しデザインを担当している。 主なデザインは、マリア・キルシナー(1903〜14年)が務めた。世界恐慌による財政難の煽りを受けて1939年に工場を閉鎖した。 どちらもアールヌーヴォー期のラスター彩ということで、ルッツの製品とティファニーの製品は類似している。 知名度の差もあってか、ルッツがティファニーを模倣したと見なされがちだが、ヨーロッパで勃興したアールヌーボー芸術運動に早くから傾倒していたルッツと、アールヌーヴォーに憧れてアメリカから本場フランスへ留学してきたティファニーという歴史考証から見れば、ルッツがティファニーに影響を与えたという見解が妥当である。 ルッツ製品は、高価に取引されるヨーロッパでの人気と比べると、独特の鮮やかな光彩色が好まれないせいか、日本での人気は低いと言わざえる得なかった。 しかし、近年は志向が変わってきて愛好者も次第に増え人気が上がっている傾向にある。